フルートのこと、響きのことなど
我が家に住まうフルート吹きたちが勝手気ままにおしゃべりします
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
大学生の頃
今思えばフルートの音の過渡期があった
すぐに後にやって来るパワーのある楽器の流行に先駆けてのことだった
何となくイメージしていたフルートの音と
違った音が良いとされていた
それを認めなければならないことには抵抗があったのだ
何を求めるべきかわからなかった頃
それを何となく口にしたら
「沢山の音を聴いて好きな音を探せば良い
好きな音が見つかったらそれを目指すのだ」
と先輩のアドバイス
そうなのかな・・・・・
すっきりしなかった覚えがある
自分がどうありたいかを探すことは
ちょっと大人の振りをしたい大学生にふさわしい
でもいつまでも大学生のままでいられない
個人的な好みは個人的な好みでしかありえない
当たり前だけどね
今思えばフルートの音の過渡期があった
すぐに後にやって来るパワーのある楽器の流行に先駆けてのことだった
何となくイメージしていたフルートの音と
違った音が良いとされていた
それを認めなければならないことには抵抗があったのだ
何を求めるべきかわからなかった頃
それを何となく口にしたら
「沢山の音を聴いて好きな音を探せば良い
好きな音が見つかったらそれを目指すのだ」
と先輩のアドバイス
そうなのかな・・・・・
すっきりしなかった覚えがある
自分がどうありたいかを探すことは
ちょっと大人の振りをしたい大学生にふさわしい
でもいつまでも大学生のままでいられない
個人的な好みは個人的な好みでしかありえない
当たり前だけどね
PR
マイゼン先生のクロイツェルエチュードでも
『重心はお腹にー自然な感じで低い位置に』
とチェックさせる
デボスト先生の「フルート演奏の秘訣」でも
『重心はできるだけ床に近い所、
すなわち腹の底の方になければならない』
という記述がある
Q.ではその重心がどこにあるかをどうやって確認する?
何人かに訊いてみたが
「・・・・ん?あー・・・・?えっ・・・・?」
という反応が多かった
なんとなくわかっているつもりでも
言葉で表現できないのだろう
重心がどこにあるかを自覚することは
極、個人的な感覚によるのだと思う
「上体の力を抜いて、すとんと重心を下げたつもり」
ということしかできない
しかし、そうやって下げようと意識していても
見る人が見ると
「ああ、重心があがっちゃってるね」
と、指摘されてしまうのは何故だろう
次回は、見る人にアンケートをとってみようと思う
『重心はお腹にー自然な感じで低い位置に』
とチェックさせる
デボスト先生の「フルート演奏の秘訣」でも
『重心はできるだけ床に近い所、
すなわち腹の底の方になければならない』
という記述がある
Q.ではその重心がどこにあるかをどうやって確認する?
何人かに訊いてみたが
「・・・・ん?あー・・・・?えっ・・・・?」
という反応が多かった
なんとなくわかっているつもりでも
言葉で表現できないのだろう
重心がどこにあるかを自覚することは
極、個人的な感覚によるのだと思う
「上体の力を抜いて、すとんと重心を下げたつもり」
ということしかできない
しかし、そうやって下げようと意識していても
見る人が見ると
「ああ、重心があがっちゃってるね」
と、指摘されてしまうのは何故だろう
次回は、見る人にアンケートをとってみようと思う
○美しい音を出そうと思わなかった日が
1日でもあっただろうか・・・・・・
きっとない
美しい音のために多くの時間を使っている
ここから間違っていたとはね
美しい音は一つの材料に過ぎないのだろう
必要なのは一つの美しい音ではなく
作曲家が求めるあらゆる音だ
無限のヴァリエーションをパレットにコレクションするのだ
面白いこと言ってやろう
皆がはっとするようなアイディアを出してやろう
話が盛り上がるような質問を投げかけよう
そんなことばかり考えて
いつもすべっては自己嫌悪している
音楽だってきっとそうなのだ
美しい音楽を奏でたい
上手く聴かせたい
いつになったらここから抜け出せる?
○演奏は人生だ
その人生に共感した人だけが感動する
T子叔母はリサイタルの後にいつも言う
「あんたのやっている音楽はちっともわからないけれど
感心したよ
なんだかわからないけれど良くやっているのはわかる
あんなに長い時間一人で立って立派だったよ
眠らないで全部聴いたよ
よくやったね」
人生に共感してくれる叔母だからこその言葉だ
○無から産み出す芸術家はいないんじゃないかな
画家は見えた物をそこへ移す
作曲家は聴こえた音楽をそこへ書き取る
作家は誰かの人生を書く
全て経験が元になっているのだそうだ
再現芸術家は演奏家だけではないということか・・・・・
○「神の声」は内なる声か外からの声か・・・・・
やっぱり内なる声に違いない
1日でもあっただろうか・・・・・・
きっとない
美しい音のために多くの時間を使っている
ここから間違っていたとはね
美しい音は一つの材料に過ぎないのだろう
必要なのは一つの美しい音ではなく
作曲家が求めるあらゆる音だ
無限のヴァリエーションをパレットにコレクションするのだ
面白いこと言ってやろう
皆がはっとするようなアイディアを出してやろう
話が盛り上がるような質問を投げかけよう
そんなことばかり考えて
いつもすべっては自己嫌悪している
音楽だってきっとそうなのだ
美しい音楽を奏でたい
上手く聴かせたい
いつになったらここから抜け出せる?
○演奏は人生だ
その人生に共感した人だけが感動する
T子叔母はリサイタルの後にいつも言う
「あんたのやっている音楽はちっともわからないけれど
感心したよ
なんだかわからないけれど良くやっているのはわかる
あんなに長い時間一人で立って立派だったよ
眠らないで全部聴いたよ
よくやったね」
人生に共感してくれる叔母だからこその言葉だ
○無から産み出す芸術家はいないんじゃないかな
画家は見えた物をそこへ移す
作曲家は聴こえた音楽をそこへ書き取る
作家は誰かの人生を書く
全て経験が元になっているのだそうだ
再現芸術家は演奏家だけではないということか・・・・・
○「神の声」は内なる声か外からの声か・・・・・
やっぱり内なる声に違いない