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フルートのこと、響きのことなど 我が家に住まうフルート吹きたちが勝手気ままにおしゃべりします
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言葉にすることで描いているイメージが具体化され
問題の対処法が導かれる
なんて、一人で悦にいっていたら言い過ぎてしまった

新年早々猛反省
調子に乗り過ぎ、配慮の足りな過ぎ

無伴奏リサイタルが終わったあと
次に向かうべき物を悶えつつ求める
ぽっかり空いた時間に埋める物を探す
(次のリサイタルは依然として決まらないけど)
笛吹きとして、また、指導者としての己の現状、これからのあり方
じっと見つめて掘り下げていくと個人の世界に入ってしまう
そこへ年末年始のレッスンのお休みが重なり
日々、己との対話となる

一方、熱心な生徒さん
とはいえ、アマチュアなので年末年始は自分のことは後回し
少し音楽の世界から遠ざかる

己の内側の奥の奥へと入っていたおばちゃんとは
どんどん意識は乖離していたのだろう
奥の濃い所にいると他との関わりが鈍感になるんだな

そういうこともちゃんと考えられないと
良い指導はしていけない

Kさん、あなたのために
美声ではないテノール歌手のシューベルトを持っていきます

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今日からレッスンが始まった
年末に舌を噛み1週間喋るのに不自由した反動か
今朝のYさんのレッスンでは言葉を大量に放出した

いかん、いかん、喋り過ぎている
という自覚はあるものの
話しているうちにどんどん閃く

「あっ、そういうことだったんだ、今気がついた」

1本歯の下駄を履く
勢いをつけて下駄を傾けて跳躍しようとする
息が放出されてしまうではないか
それでは下駄を履く意味が無い
何度も言っているようにゆっくりレガートで動かすのだ
息の方はそれでも動じないように
しかし、流れを邪魔しないようにそこへ留めるのだ

エネルギーの源がぶれてしまわないように

「タンギングをはっきり」と言うと
皆さん舌に力を入れて強く発音しようとする
でも、この時必要なのは母音ではなく子音
どちらも一緒くたに強く発音しようとしているのでは?
母音の割合を減らすことで子音の「T」が際立つでしょ

そう、そう、
発音する前に舌の位置や口内の形状を確認してみてください

確認するための時間が
息を支える準備や流れのスムーズさにも繋がるように
その時上体の力も抜ければなお良し

言葉にすることでイメージがどんどん具体的になってくる
やっぱりレッスンは大切

口は災いの元だけど、今年も喋りまっせ

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鉾田のパン屋さん
大堀さんは写真の趣味をお持ちだ
おばちゃんの写真も撮ってくださった

後日
「(被写体が)20代だったらもっといっぱい撮ったんだがな
 50代は5枚だ」
と仰って、モノクロの写真を5枚ばかり紙に焼いてくださった
サマジーめ
言っておくがまだ50にはなっていないのだ
1月28日にはまたキョーレツなおばちゃん10人送り込みますよん

モノクロの写真を見ていると
カラーよりも立体的で奥行きがあるような気がする
光と影の具合で恥ずかしくなるほど質感が顕れてしまう
50代は5枚と言う大堀サマジーの言い分が良くわかる

そうだグレースケールだ
これが自在に描けるようになることは基本中の基本
リアリズム絵画入門で野田先生は言っている

着色せずに林檎を表す・・・・・
それを音に置き換えてみると
色を変えずに無限のダイナミクスを表すことか
悲しくもなく、はかなくもない「ただの静けさ」
ああ、やったことがないかもしれない
試してみよう

まだまだ先は長いね


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己の耳は一体どれほど己を聴ける?
どうもいかん、イメージの通りにいかない
と感じることは修正出来る
しかし、イメージ通りって何だ?

己のイメージと己の現実
こいつらは凄く仲良しかも知れない
それに、音は残らない
通り過ぎて行ってしまう
正確な判断が出来るのだろうか

だめだよ
自分を信じちゃいけない
けれど信じなければ何も出来ない

ところで見ることが商売である画家や写真家

この人達は見た物をそれぞれの方法で残す
残った物はその瞬間に感じた物と一致するのだろうか

画家は残す物が出来上がる過程とじっと向き合う
満足いくものが出来るまで手を入れる
向き合いながら変化していくのだろうか
長い時間をかける人もささっと書いてしまう人も
その時間にどんな思いを込めるのだろう
それは、音楽家がさらい込むことと近いのだろうか

気に入った題材は何枚でも描くのだろう
良い音楽は何度でも演奏する
意図するにせよしないにせよ
その度に違うものが出来上がる
費やす時間に意味がある

写真家はどうなんだろう
シャッターを押す瞬間
その時に見た物が残るのならば
それは写し手の感じたものを一瞬にして閉じ込めるのだろう
なんか凄い
写真はだれにでも撮れるけれど
同じ場所で同じ時をを過ごしても同じ作品にはならない
「自分はこれをこのように見たのだ」
っていうことか?

見透かされるって言葉もあるけれど
眼って恐い




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演奏中の写真には
自己の修正へのヒントが沢山詰まっている

笠間日動美術館HP 学芸員だより

特に二枚目の写真は首から上が前傾し過ぎている
恐らくこれは眼の所為だ

おばちゃんの眼は長い期間のコンタクトレンズ装着で
どうやら細胞が減ってしまっているらしく
かかりつけの眼科はコンタクトレンズを処方してくれない
仕方なく本番だけ使い捨てレンズを装着するが
乱視が矯正しきれない
歳とともに暗い場所で細かい物を見るのが困難になってきた
本当は、譜面台をずっと低くして離れた位置から見たい
(これは老眼ゆえではなく)
遠くに楽譜を置くことでもっと自由になるのだ

残念なことに今回暗譜できていたのはJ.S.Bachだけだった

E.BachもinCならば何百回と練習して染みついているほどだが
in B♭はそれを払拭する程さらい込んでいない
刷り込まれているin Cと新たなin B♭が交錯する
その上耳から聴こえてくるのは馴染んでいる調性
危険きわまりない
楽譜から一時も眼を離すことが出来なかった
そう、歳とともに衰えているのは柔軟性であることも否めない

いつもの相方、ピアニストの小林由佳さん
彼女は裸眼で0.1見えないそうだ
しかし、本番も日常生活も裸眼で過ごしている
素晴らしく勘の鋭い人なのだ
楽譜は、めくりの心配が無いように
いつも縮小した楽譜を一覧出来るように繋ぎ合わせて譜面台に置く
信じられない程小さな楽譜の一つ一つは
彼女の視力では見える筈が無いのだ
音形を見ることで記憶の補助としているに過ぎない

そうだ、暗譜をしよう

子供の頃は暗譜に苦労したことが無い
10回もさらうと楽譜の面がそのまま脳ミソにコピーされる
細部が出来るようになる前に覚えちゃうのだ
そして学生時代はどんな時でも暗譜で通して来た
(眼鏡を外して演奏するためだ)

そういえばコンチェルト以来暗譜で演奏していない
今年は暗譜からもっと自由を見つけよう






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HN:
フルートのおばちゃん
年齢:
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性別:
女性
誕生日:
1961/04/01
職業:
しがない笛吹き改め花も実もある笛吹き
趣味:
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