フルートのこと、響きのことなど
我が家に住まうフルート吹きたちが勝手気ままにおしゃべりします
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充実した中、このテンションって音楽として成り立っている
と、疑った経験が二回ある
始めは中学生のとき
講堂で全員合唱で何か歌う機会があったのだ
隣のクラスの歌のうまい子の傍に立ち
つられて熱唱した
視線をかわし合い、熱い物を確かに共有した
その刹那ふと我に帰り
このテンションは音楽的なのだろうか・・・・・・
と疑問を感じた
次は、大学時代のレッスン
ソノリテの上行を師匠に聞いていただいていた時
音の上昇とともにクレッシェンド
「もっとクレッシェンド、もっともっと」
と誘導されていた時
「本当?何か違わない」
と疑ったが
師匠の「そうそう」にだまされて
すぐに、「まぁ、いっか」と妥協してしまった
今、考えると興奮してやりきったみたいな充実感を
音の充実感とはき違えていたのだと思う
ちらりとでもよぎった疑念は
追求せねばならない
と、疑った経験が二回ある
始めは中学生のとき
講堂で全員合唱で何か歌う機会があったのだ
隣のクラスの歌のうまい子の傍に立ち
つられて熱唱した
視線をかわし合い、熱い物を確かに共有した
その刹那ふと我に帰り
このテンションは音楽的なのだろうか・・・・・・
と疑問を感じた
次は、大学時代のレッスン
ソノリテの上行を師匠に聞いていただいていた時
音の上昇とともにクレッシェンド
「もっとクレッシェンド、もっともっと」
と誘導されていた時
「本当?何か違わない」
と疑ったが
師匠の「そうそう」にだまされて
すぐに、「まぁ、いっか」と妥協してしまった
今、考えると興奮してやりきったみたいな充実感を
音の充実感とはき違えていたのだと思う
ちらりとでもよぎった疑念は
追求せねばならない
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