フルートのこと、響きのことなど
我が家に住まうフルート吹きたちが勝手気ままにおしゃべりします
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15年ほど前でしょうか
レッスンを仕事にするようになってしばらくしてのことです
「メトロノームの音の出る時間は拍の真ん中である」
という人に出会いました
こちらも若かったのでびっくりしました
その方は東京大学医学部のご出身のお医者様で
当時で、フルートの経験年数は私と同じ位でした
練習もきちんとされているようなのに
リズムがちっともつかめないのがとても不思議でした
ある日くどいかな、と思いながらも思い切って
「メトロノームの音の出るタイミングは拍の始まる時ですよ」
と言ってみた時のその方の表情は忘れられません
振り子式のメトロノームの音の出るタイミングは
確かに真ん中の位置に来た時なのです
振り子が一番下に行った時が拍の始まりと認識していたようなのです
頭の良い方は勘違いもスケールが違います
それでどうやら20年以上フルートを吹いていたのです
時代は変わり
振り子式メトロノームが電子メトロノームに取って代わられたこの頃
光の点滅に合わせてはねるように身体を動かす様子が度々見られます
ゆっくりの時は幅が広く、早い時は幅の短い
振り子の運動が想像できないようです
テンポの話をもう一つ
レッスンで「テンポが悪い」と散々注意して一向に自覚を持たなかった人が
ニンテンドーDSの「リズム天国」で良い結果が出なかったことから
自分のリズムの悪さをはっきりと認識したという報告がありました
現代人って・・・・・・
レッスンを仕事にするようになってしばらくしてのことです
「メトロノームの音の出る時間は拍の真ん中である」
という人に出会いました
こちらも若かったのでびっくりしました
その方は東京大学医学部のご出身のお医者様で
当時で、フルートの経験年数は私と同じ位でした
練習もきちんとされているようなのに
リズムがちっともつかめないのがとても不思議でした
ある日くどいかな、と思いながらも思い切って
「メトロノームの音の出るタイミングは拍の始まる時ですよ」
と言ってみた時のその方の表情は忘れられません
振り子式のメトロノームの音の出るタイミングは
確かに真ん中の位置に来た時なのです
振り子が一番下に行った時が拍の始まりと認識していたようなのです
頭の良い方は勘違いもスケールが違います
それでどうやら20年以上フルートを吹いていたのです
時代は変わり
振り子式メトロノームが電子メトロノームに取って代わられたこの頃
光の点滅に合わせてはねるように身体を動かす様子が度々見られます
ゆっくりの時は幅が広く、早い時は幅の短い
振り子の運動が想像できないようです
テンポの話をもう一つ
レッスンで「テンポが悪い」と散々注意して一向に自覚を持たなかった人が
ニンテンドーDSの「リズム天国」で良い結果が出なかったことから
自分のリズムの悪さをはっきりと認識したという報告がありました
現代人って・・・・・・
テトラッツィーニを聴いています
モイーズの「私のフルート論」に載っている
お手本にしたい音楽家のうちの一人です
ソルヴェーグの歌
組曲としてはなじみ深い音楽ですが
歌は初めて聞くのかも知れません
それにしてもこの人は
なんてなんてこと無く歌うのでしょう
自由自在に声を操る声帯の筋肉は
いったいどういうことになっているのでしょう
超名人芸のロメオとジュリエット
縦横無尽のベニスの謝肉祭
こんな風にフルートを吹けたらいいな、と思います
こんな時には「いい声だなあ」とは感じていませんねえ
発声の自由自在さを心からうらやましく思い
その自在さに由来する「なんてことの無い音楽のスタイル」
過剰さは微塵も無く極当たり前のように音楽が進行するさまは
まさに理想の姿です
必要なものと不要なものを選り分ける能力があったらいいのに
先日の響きの会の練習の後
植村先生がおっしゃっていました
「やっと力を抜くことがわかってね
要するに、いらない力を抜くと必要なところに入ってくるのだよ」
先生もテトラッツィーニみたいになってきたもの
モイーズの「私のフルート論」に載っている
お手本にしたい音楽家のうちの一人です
ソルヴェーグの歌
組曲としてはなじみ深い音楽ですが
歌は初めて聞くのかも知れません
それにしてもこの人は
なんてなんてこと無く歌うのでしょう
自由自在に声を操る声帯の筋肉は
いったいどういうことになっているのでしょう
超名人芸のロメオとジュリエット
縦横無尽のベニスの謝肉祭
こんな風にフルートを吹けたらいいな、と思います
こんな時には「いい声だなあ」とは感じていませんねえ
発声の自由自在さを心からうらやましく思い
その自在さに由来する「なんてことの無い音楽のスタイル」
過剰さは微塵も無く極当たり前のように音楽が進行するさまは
まさに理想の姿です
必要なものと不要なものを選り分ける能力があったらいいのに
先日の響きの会の練習の後
植村先生がおっしゃっていました
「やっと力を抜くことがわかってね
要するに、いらない力を抜くと必要なところに入ってくるのだよ」
先生もテトラッツィーニみたいになってきたもの
響きの会の指導をお願いしている丸山先生と
話し合うのはいつも同じことです
「いい音って何だろう」
「いい」は「良い」とはニュアンスが違います
例えば「いい女だねえ」と言う時
姿が美しいだけではなく
話題が豊富で楽しいとか知性的であるとか
気っぷがいいとか気だてが優しいとか
そんなことを全部含めて「いい女」というのです
「いい音」というのも
たぶん美しいだけではなく
表情豊かであるとか、響きが豊かであるとか
その音楽にふさわしいあらゆることを含めて
「いい」と言うのだと思うのだけど
そうなって来ると「いい音」といわないで
「いい音楽」と感じるのではないかしらん
ああ、そうか
フルートを聴く時に限って「いい音」と感じるけれど
他の楽器だったら無条件で四の五の言わず
素敵な音楽と感じるような気がします
ということは、フルートの音にこだわり響きを追求し、模索するあまり
音楽よりも「音」を聴いてしまうのかも知れません
話し合うのはいつも同じことです
「いい音って何だろう」
「いい」は「良い」とはニュアンスが違います
例えば「いい女だねえ」と言う時
姿が美しいだけではなく
話題が豊富で楽しいとか知性的であるとか
気っぷがいいとか気だてが優しいとか
そんなことを全部含めて「いい女」というのです
「いい音」というのも
たぶん美しいだけではなく
表情豊かであるとか、響きが豊かであるとか
その音楽にふさわしいあらゆることを含めて
「いい」と言うのだと思うのだけど
そうなって来ると「いい音」といわないで
「いい音楽」と感じるのではないかしらん
ああ、そうか
フルートを聴く時に限って「いい音」と感じるけれど
他の楽器だったら無条件で四の五の言わず
素敵な音楽と感じるような気がします
ということは、フルートの音にこだわり響きを追求し、模索するあまり
音楽よりも「音」を聴いてしまうのかも知れません
私の生徒さん達の発表会は来年早々
1/25に藝文ホールで予定しています
出演予定者はアンサンブルも入れて30名ほど
プログラムの数で27〜28位です
だいたい3時間ずーーーっとフルートの演奏が続くのです
ピアニストは大泉究(きわめ)さんと私
究さんのお嬢さんは杏那さんというフルーティストで
以前はこの発表会にも出ていたのですよ
母娘ともに感性のとっても豊かな音楽家なのです
レッスンでは「ここはもっと優しく静かに」とか「もっと軽やかに」とか
いろんなことを言ってもちっともピンと来ない方でも
究さんのピアノと一緒に演奏すると
いっぺんで「感じ」がわかってしまうのです
スッチが入るみたいに
共演者の影響ほど直接的なものはありませんね
みなさんに良い経験をしていただきたいのです
あっ私が伴奏を弾く方ごめんなさい
1/25に藝文ホールで予定しています
出演予定者はアンサンブルも入れて30名ほど
プログラムの数で27〜28位です
だいたい3時間ずーーーっとフルートの演奏が続くのです
ピアニストは大泉究(きわめ)さんと私
究さんのお嬢さんは杏那さんというフルーティストで
以前はこの発表会にも出ていたのですよ
母娘ともに感性のとっても豊かな音楽家なのです
レッスンでは「ここはもっと優しく静かに」とか「もっと軽やかに」とか
いろんなことを言ってもちっともピンと来ない方でも
究さんのピアノと一緒に演奏すると
いっぺんで「感じ」がわかってしまうのです
スッチが入るみたいに
共演者の影響ほど直接的なものはありませんね
みなさんに良い経験をしていただきたいのです
あっ私が伴奏を弾く方ごめんなさい