フルートのこと、響きのことなど
我が家に住まうフルート吹きたちが勝手気ままにおしゃべりします
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テトラッツィーニを聴いています
モイーズの「私のフルート論」に載っている
お手本にしたい音楽家のうちの一人です
ソルヴェーグの歌
組曲としてはなじみ深い音楽ですが
歌は初めて聞くのかも知れません
それにしてもこの人は
なんてなんてこと無く歌うのでしょう
自由自在に声を操る声帯の筋肉は
いったいどういうことになっているのでしょう
超名人芸のロメオとジュリエット
縦横無尽のベニスの謝肉祭
こんな風にフルートを吹けたらいいな、と思います
こんな時には「いい声だなあ」とは感じていませんねえ
発声の自由自在さを心からうらやましく思い
その自在さに由来する「なんてことの無い音楽のスタイル」
過剰さは微塵も無く極当たり前のように音楽が進行するさまは
まさに理想の姿です
必要なものと不要なものを選り分ける能力があったらいいのに
先日の響きの会の練習の後
植村先生がおっしゃっていました
「やっと力を抜くことがわかってね
要するに、いらない力を抜くと必要なところに入ってくるのだよ」
先生もテトラッツィーニみたいになってきたもの
モイーズの「私のフルート論」に載っている
お手本にしたい音楽家のうちの一人です
ソルヴェーグの歌
組曲としてはなじみ深い音楽ですが
歌は初めて聞くのかも知れません
それにしてもこの人は
なんてなんてこと無く歌うのでしょう
自由自在に声を操る声帯の筋肉は
いったいどういうことになっているのでしょう
超名人芸のロメオとジュリエット
縦横無尽のベニスの謝肉祭
こんな風にフルートを吹けたらいいな、と思います
こんな時には「いい声だなあ」とは感じていませんねえ
発声の自由自在さを心からうらやましく思い
その自在さに由来する「なんてことの無い音楽のスタイル」
過剰さは微塵も無く極当たり前のように音楽が進行するさまは
まさに理想の姿です
必要なものと不要なものを選り分ける能力があったらいいのに
先日の響きの会の練習の後
植村先生がおっしゃっていました
「やっと力を抜くことがわかってね
要するに、いらない力を抜くと必要なところに入ってくるのだよ」
先生もテトラッツィーニみたいになってきたもの
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