フルートのこと、響きのことなど
我が家に住まうフルート吹きたちが勝手気ままにおしゃべりします
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Sさん
しょっちゅう登場する方だけど
日々、責任ある重要な仕事をこなしており
勿論能力は高い
溢れんばかりの情熱もあるし、愛もある
努力も惜しまないし、探究心もある
面倒見が良く人望があり、まっすぐで気取りが無い
本当に素晴らしい方で大好きだ
そのSさん
その情熱を抑えられず、常にespressivoでgrandioso
どんな時でもstringendo
何故pが吹けないのだろう・・・・・
きっと探さないからだ
と結論付け
見つけるアイディアとして
まず最も良い音でストレス無く発音するという概念で
mfを吹いてみる
それから1段階ずつmp→p→ppというようにdim.をしてみる
(その際、それぞれのダイナミクスでせいぜい2秒程度
そして、必ず→の部分ではブレスをする)
ppが見つかったら
今度は反対にmfに向かってみる
それが出来たら
pp→p→mp→mf→f→ff→f→mf→p→p→pp
折り返しから同じダイナミクスを通過できて
出発点に戻れたら成功
というふうに丹念にレッスンする
そして、大変に納得して「修正して出直します」
とおっしゃった2週間後
相変わらずの全てがespressivo grandioso stringendo
に戻ってやってくるのだ
これを何ヶ月続けただろう・・・・・・・・
結局、演奏の前のイメージが作れないのだろう
「こうありたい」という物があれば必ず違和感を感じる筈だ
予めイメージすることなく
自分が吹いた音から発想して行くならば
決して出口は見つからないだろう
Sさんイメージなんだよ、きっと
しょっちゅう登場する方だけど
日々、責任ある重要な仕事をこなしており
勿論能力は高い
溢れんばかりの情熱もあるし、愛もある
努力も惜しまないし、探究心もある
面倒見が良く人望があり、まっすぐで気取りが無い
本当に素晴らしい方で大好きだ
そのSさん
その情熱を抑えられず、常にespressivoでgrandioso
どんな時でもstringendo
何故pが吹けないのだろう・・・・・
きっと探さないからだ
と結論付け
見つけるアイディアとして
まず最も良い音でストレス無く発音するという概念で
mfを吹いてみる
それから1段階ずつmp→p→ppというようにdim.をしてみる
(その際、それぞれのダイナミクスでせいぜい2秒程度
そして、必ず→の部分ではブレスをする)
ppが見つかったら
今度は反対にmfに向かってみる
それが出来たら
pp→p→mp→mf→f→ff→f→mf→p→p→pp
折り返しから同じダイナミクスを通過できて
出発点に戻れたら成功
というふうに丹念にレッスンする
そして、大変に納得して「修正して出直します」
とおっしゃった2週間後
相変わらずの全てがespressivo grandioso stringendo
に戻ってやってくるのだ
これを何ヶ月続けただろう・・・・・・・・
結局、演奏の前のイメージが作れないのだろう
「こうありたい」という物があれば必ず違和感を感じる筈だ
予めイメージすることなく
自分が吹いた音から発想して行くならば
決して出口は見つからないだろう
Sさんイメージなんだよ、きっと
廣瀬量平さんのホームページに
リサイタルのチラシを掲載していただきました
第29回日本フルートフェスティバルin茨城で
アルトフルートのソロを聴いていただいたご縁で
ご子息の周平さんと連絡を取った
今回は「岬のレクイエム」と「湖をわたる風の歌」
廣瀬作品を2曲演奏する
2002年の「岬のレクイエム」と
1982年の「湖をわたる風の歌」
ちょうど20年の時を経て
この二つの作品はずいぶん違った様相をしている
無から音楽を紡ぎだす
作曲家の脳みそはどうなっているのだろう
実を捩って内面を絞り出し書き付けるのだろうか・・・・
廣瀬さんの閉め切り滑り込みは有名だったけれど
その時がくればきっと溢れ出すのだろう
レストランのナプキンにさらさらと書いて
「出来た」と差し出された、という話を聞いたことがある
おばちゃんは「何とか風」みたいな
亜流は得意だけれど
自分のメロディーは決して産み出せない
必ず何かに似てしまう
それは自分の中身をさらけ出すことが出来ない
ということなのかもしれない
リサイタルのチラシを掲載していただきました
第29回日本フルートフェスティバルin茨城で
アルトフルートのソロを聴いていただいたご縁で
ご子息の周平さんと連絡を取った
今回は「岬のレクイエム」と「湖をわたる風の歌」
廣瀬作品を2曲演奏する
2002年の「岬のレクイエム」と
1982年の「湖をわたる風の歌」
ちょうど20年の時を経て
この二つの作品はずいぶん違った様相をしている
無から音楽を紡ぎだす
作曲家の脳みそはどうなっているのだろう
実を捩って内面を絞り出し書き付けるのだろうか・・・・
廣瀬さんの閉め切り滑り込みは有名だったけれど
その時がくればきっと溢れ出すのだろう
レストランのナプキンにさらさらと書いて
「出来た」と差し出された、という話を聞いたことがある
おばちゃんは「何とか風」みたいな
亜流は得意だけれど
自分のメロディーは決して産み出せない
必ず何かに似てしまう
それは自分の中身をさらけ出すことが出来ない
ということなのかもしれない
出来ないのには必ず理由がある
勿論、それは言い訳と混同してはいけない
一つには方法が違う
一つには出来ないと思い込んでいる
これ以外の理由があるだろうか
練習しないとか、嫌いだからとかは
「理由」ではなく「言い訳」だ
まず方法が違うということを踏み込んで考えるべきだ
●指がまわらないことの理由だって
指の上げ下ろし、
楽譜を見るタイミング、もしかしたら読み方、または覚え方
もっというと練習の方法
あるいは持ち方から派生したりする指の動かし方が違うのだ
●音のでない理由ははっきりと奏法の相違と言える
●ダイナミクスの表現が出来ない理由
これも方法が違う以外にあるだろうか
●ピアノが吹けない理由
ピアノの認識の仕方が違ったり
その実現の方法が違う
次には出来ないと思い込んでいることを分析する
その心は、力みから解放させない
失敗を恐れるあまり萎縮してしまう
そして、練習する気が削がれる
自分以外の人はどうやっているのか
観察したり、インタビューしたりすることも大切だ
メトードをじっくり読んでより良い方法を見つけて
心の持ちようを見直し
出来ると信じて勇気を持って臨むのだ
GOOD LUCK!
勿論、それは言い訳と混同してはいけない
一つには方法が違う
一つには出来ないと思い込んでいる
これ以外の理由があるだろうか
練習しないとか、嫌いだからとかは
「理由」ではなく「言い訳」だ
まず方法が違うということを踏み込んで考えるべきだ
●指がまわらないことの理由だって
指の上げ下ろし、
楽譜を見るタイミング、もしかしたら読み方、または覚え方
もっというと練習の方法
あるいは持ち方から派生したりする指の動かし方が違うのだ
●音のでない理由ははっきりと奏法の相違と言える
●ダイナミクスの表現が出来ない理由
これも方法が違う以外にあるだろうか
●ピアノが吹けない理由
ピアノの認識の仕方が違ったり
その実現の方法が違う
次には出来ないと思い込んでいることを分析する
その心は、力みから解放させない
失敗を恐れるあまり萎縮してしまう
そして、練習する気が削がれる
自分以外の人はどうやっているのか
観察したり、インタビューしたりすることも大切だ
メトードをじっくり読んでより良い方法を見つけて
心の持ちようを見直し
出来ると信じて勇気を持って臨むのだ
GOOD LUCK!
充実した中、このテンションって音楽として成り立っている
と、疑った経験が二回ある
始めは中学生のとき
講堂で全員合唱で何か歌う機会があったのだ
隣のクラスの歌のうまい子の傍に立ち
つられて熱唱した
視線をかわし合い、熱い物を確かに共有した
その刹那ふと我に帰り
このテンションは音楽的なのだろうか・・・・・・
と疑問を感じた
次は、大学時代のレッスン
ソノリテの上行を師匠に聞いていただいていた時
音の上昇とともにクレッシェンド
「もっとクレッシェンド、もっともっと」
と誘導されていた時
「本当?何か違わない」
と疑ったが
師匠の「そうそう」にだまされて
すぐに、「まぁ、いっか」と妥協してしまった
今、考えると興奮してやりきったみたいな充実感を
音の充実感とはき違えていたのだと思う
ちらりとでもよぎった疑念は
追求せねばならない
と、疑った経験が二回ある
始めは中学生のとき
講堂で全員合唱で何か歌う機会があったのだ
隣のクラスの歌のうまい子の傍に立ち
つられて熱唱した
視線をかわし合い、熱い物を確かに共有した
その刹那ふと我に帰り
このテンションは音楽的なのだろうか・・・・・・
と疑問を感じた
次は、大学時代のレッスン
ソノリテの上行を師匠に聞いていただいていた時
音の上昇とともにクレッシェンド
「もっとクレッシェンド、もっともっと」
と誘導されていた時
「本当?何か違わない」
と疑ったが
師匠の「そうそう」にだまされて
すぐに、「まぁ、いっか」と妥協してしまった
今、考えると興奮してやりきったみたいな充実感を
音の充実感とはき違えていたのだと思う
ちらりとでもよぎった疑念は
追求せねばならない